FIREを前にサラリーマン生活を振り返ってみる その7

2025年6月をもって会社を退職し、独立という名の無職生活を送る予定でいます。

サラリーマン生活を振り返って、総括ではないですが文章に残しておこうと思います。

 

 

40代後半から50代前半

意義を感じられないくだらない仕事(ブルシットジョブ)とパワハラチックな人間が原因でメンタルをやられてしまったため、少し休職することとなりました。

 

休職期間は極めて短かったのですが、復帰後は担当業務を整理して負担感を減らす措置を取ってもらえました。現在に至るまで業務負荷は軽い状況が続いています。

 

イメージとしては時短勤務で在宅勤務ですので、週休3日、週1出社、在宅週3で1日当たりの稼働時間は4時間程度な感じです。

 

ただ仕事が楽になったから幸せかというと必ずしもそうは感じませんでした。むしろ忙しかったり大変だったりしてもグローバル系の仕事は楽しくやりがいをもって業務にあたることが出来ていました。(ある程度予想された感情ではあります)

 

時間的な余裕が出ましたので、日々の過ごし方が変わりました。家事と趣味に時間を大きく振って仕事の優先度合いが極端に減りました。

 

平日にできる趣味は、散歩、美術館、小旅行、スポーツ観戦、ゴルフレッスン、映画、動画視聴あたりになります。投資関連にかけている時間もそれなりにあります。

 

売買自体は投資の原則に則ってあまりしない(基本売らない)のですが、優待クロスや損だしを実施したりであったり、投資の情報入手は毎日にように行っています。

 

時短勤務の結果、完全にFIRE後(退職後)の生活はイメージできています。現状の仕事関連の時間が自由になるだけですので、この時間を何に充てるかが決まればOKです。おそらく家事か趣味の時間を増やすことになると思います。

 

現状退屈に感じることはありませんので、完全FIRE後(退職後)も楽しく充実して過ごせるものと思います。

 

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FIREを前にサラリーマン生活を振り返ってみる その6

2025年6月をもって会社を退職し、独立という名の無職生活を送る予定でいます。

サラリーマン生活を振り返って、総括ではないですが文章に残しておこうと思います。

 

40代中盤から後半

世の中がコロナ対策でシャットダウンや在宅勤務が基本となった時期です。

また、やりがいをもって取り組んでいたグローバル系の仕事から外れたのもこの時期です。

 

今まで20年以上も満員電車に揺られて、仕事が忙しかろうと忙しくなかろうとも律儀に出勤していたのはいったい何だったんだろうという感想を持ちました。

 

また子供の面倒は以前からそれなりに見ていたのですが、週7日の夕食準備と学校行事の参加は私の役目となり、家事労働に割く時間がだいぶ増えました。子供にかかわる時間が増えたのはよいことで、これはこれで現在まで楽しくやっています。

 

仕事関係ですが、在宅勤務の時期に会社が組織再編を行いました。正直これはタイミング悪く結果としては愚策だったというしかありません。顔と名前が一致しない、もちろん人となりもわからない人間が新しい部署でリモートで一緒に仕事をしなくてはならない状況は多くの従業員にとってストレスフルでしんどかったと思います。

 

まともな人間が多数派ではあるのですが、一部パワハラ気質というかマウント取りというか声のでかい虚勢をはっているような人物が存在するのは事実で、こういった輩と一緒に仕事するのが本当に苦痛でした。

 

間接業務というか付帯業務、社内改善プロジェクト的なものをこういった輩と一緒にやることになりました。そもそもやってもやらなくてもどうでもよい仕事、仕事のための仕事、穴を掘る仕事だがその穴の掘り方に文句を付けられダメだしされ、その上結局は穴を埋めさせられるという不毛極まりない仕事です。(あくまで私の捉え方ですが、同様に感じている同僚がそれなりにいたのも事実です)

 

こういったしょうもない業務も、サラリーマン的には嬉々として、やる気に満ちて前向きにやっているアピールするのが正解なのでしょう。

 

ただ年齢的にも50歳が見えてきて、これ以上の昇進がないこと、在宅勤務で仕事に対するスタンスや人生に対する達観が出てきたこと(くだらないことをやって時間を浪費するのは避けたいという心理)、金融資産の評価額が1億円を超えてきていつでも会社は辞めてもよいという金銭状況もあり、全く仕事をやる気が起きませんでした。

 

そうこうしているうちに、会社に通えない(正確には在宅勤務ですのでパソコンを開けない)メールチェックするのが気持ち悪くてできないという状況に落ちてしまいました。

 

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FIREを前にサラリーマン生活を振り返ってみる その5

2025年6月をもって会社を退職し、独立という名の無職生活を送る予定でいます。

サラリーマン生活を振り返って、総括ではないですが文章に残しておこうと思います。

 

40代前半から中盤

30代後半から変わらずグローバル系の難易度の高い仕事をやりがいをもって行っていました。海外事務所の外国人ともおおむね仲良くできましたし、クライアントからも感謝されて仕事に対して迷いのない時期でした。

 

海外出張も時差や移動距離からくる疲れよりも、楽しさのほうが上回っている状態でした。出張中は空き時間もなるべく作るようにして娯楽や観光などにも時間を割きました。

 

また、出張先でも現地社員(外国人)が会食などセットしてくれることもあり日本人ではいけないような場所にも行けたこともよい思い出です。

 

航空会社のマイルも簡単に貯まるようになりましたので、マイルの獲得や利用について詳しくなったのもこの時期です。

 

 

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FIREを前にサラリーマン生活を振り返ってみる その4

2025年6月をもって会社を退職し、独立という名の無職生活を送る予定でいます。

サラリーマン生活を振り返って、総括ではないですが文章に残しておこうと思います。

 

30代中盤から後半

不良上司から逃れるため異動希望を出しましたが異動できるかどうかの確信はありませんでした。以前上司としてお世話になった大先輩の年配の方に引っ張てもらう形での異動を模索しました。この年配の方がどこまで骨を折ってくれたかは私からは見えなかったのですが、幸いなことに異動することができました。

 

ここでまたしてもサラリーマン生活の首がつながったことになります。

 

異動して少しだけ毛色の違う仕事をしましたが、私を引っ張ってくれた年配の方やそれ以外でも人間関係的には恵まれ順調に仕事をこなしていきました。

 

そうこうしているうちに新たに英語ベースのグローバルな仕事の担当になりました。この仕事は英語の問題だけではなく内容的に非常に難しく重いためギブアップしてしまう社員が多く恐れられている仕事です。

 

この仕事は私にとっては大変にやりがいのある仕事で、私の能力と好みの問題、また一緒に働く人たちも非常にフィットした素晴らしいものでした。

 

もちろん大変な面もあったのですが、それを上回る達成感や面白さがありました。この時期は大変充実していました。海外出張も盛んに行くようになりましたし、英語での電話会議やメールのやり取りも大変に多かったですが楽しく日々を過ごしていました。

 

この難易度の高い仕事をうまくまとめて前に進めたということもあり、現在の職位に昇進することにもなりました。

 

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FIREを前にサラリーマン生活を振り返ってみる その3

2025年6月をもって長年勤めた会社を退職するつもりでいます。

 

退職を前にサラリーマン生活を振り返りたいと思います。

 

30代中盤

アメリカ赴任が終わり日本に帰国してしばらくは順調に仕事をしておりました。尊敬できる上司や優秀な後輩、人当たりの良いクライアントなど環境に恵まれていました。

 

ただそのまま順調に行かないのがサラリーマン生活です。

札付きの不良上司につかまり残念ながらここで再びサラリーマン生活を続けるか岐路に立たされます。不良上司は根本的能力が圧倒的に欠けており、そのわりにはおとなしくせずにわめいているので、社内外に迷惑をまき散らしている人物です。

 

それなりに改善すべく自分としてはうまく立ち回りつつ闘ったのですが、この上司にかかわって疲弊するのが結局馬鹿らしくなりました。

 

そのため自分としては部署異動の希望を出すこととしました。不良上司については「あいつはヤバい、話にならん」というのがある程度社内でコンセンサスが形成されていたので、私のほうが不利益を被る可能性が低いだろうという判断もありました。

 

ただうちの会社は定期の人事異動のタイミング以外では、あまり人の動きがないため、異動の願いが却下される可能性や異動できないことが原因で、最悪自分のほうが退職する可能性もありました。

 

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FIREを前にサラリーマン生活を振り返ってみる その2

2025年6月をもって長年勤めた会社を退職するつもりでいます。

 

退職を前にサラリーマン生活を振り返りたいと思います。

 

20代後半のアメリカ勤務

当たり前ですが環境が大きく変わりました。アメリカ生活自体は大学時代に短期留学で4か月ほど経験していましたが勉強(遊び?)と仕事では結構違います。

 

仕事内容としては日本で行っていたこととほぼ同じで、純粋に英語環境、一緒に仕事する人がアメリカ人になっただけとのことで、語学の悩み以外は仕事上あまりありませんでした。

 

アメリカ生活の真新しさ、アメリカ人の同僚との交流など転勤時は振り返ってみると非常に楽しく過ごすことができました。その他アメリカの地方都市への赴任でしたので田舎暮らしは退屈すぎて自分には向いていないことが改めて確認できました。

 

 

30代前半の帰国後

アメリカから帰国して元の職場へ復帰しました。アメリカへの転勤前はストレスや仕事自体に飽き飽きしていて結構つらかったのですが、アメリカ勤務でリフレッシュできたことや、一緒に働く人が変わったりといったこともありスムーズに移行できました。

 

日本語で仕事をすることがいかに楽で快適であるかを感じたりして、しばらくは問題なくサラリーマン生活を送ることができました。

 

管理職に昇進したのも30代前半のこのころです。

 

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FIREを前にサラリーマン生活を振り返ってみる その1

 2025年6月をもって会社を退職し、独立という名の無職生活を送る予定でいます。

 

サラリーマン生活を振り返って、総括ではないですが文章に残しておこうと思います。

 

新卒入社時 

入社式に濃い緑色のダブルのスーツで参加したのは自分だけで周りは黒や紺、グレーのスーツの人が多かったですね。

 

当時はダブルのスーツも流行っていたのでそこまで浮いた感じはなかったです。特に自分としては違和感なく全く狙っていったわけでもなく、しばらく時間が経ってからそのスーツで行ったことを思い出した次第です。

 

ある意味入社初日の時点でサラリーマン適正が低いことの証明、早期退職する将来が見えていた気がします。

 

入社1年目

環境になれるので精いっぱいのため、とにかく疲れた記憶しかありません。一緒に働いた人たちは大変親切で人柄もよく、30年近くたった今でも年の近い先輩とは部署は違えど仲良くさせてもらっています。

 

20代前半から中盤

夜中まで働いている時期もありましたし、最悪明け方まで働いている時期もありました。仕事を覚えて少し楽しくなってきた一方で、大変さだったりもあり、正直仕事が嫌になってきている時期でもありました。

 

20代中盤から後半

自分の会社員キャリアで分岐点となった時期です。

 

このタイミングで海外勤務の希望を出し、海外勤務があればそのまま会社員生活を継続、なければ退職しようと思っていました。退職後はどうするのかまでは深く考えていませんでしたが、仕事に飽き飽きしていて環境を変えなければ勤務を継続することは難しいと感じていました。

 

一方で、社内的な評価も悪くなく、また英語(TOEICスコア等)に関してもかなり高かったですので、海外勤務候補者の中から選ばれないことはないだろうなと自信もありました。

 

幸か不幸かアメリカ勤務が決定し、会社員継続となりました。この時に何らかの事情でアメリカ勤務にならず、退職していたらどのような人生になっていたのか、振り返ってみると大きな転換点でありました。

 

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