FIREを前にサラリーマン生活を振り返ってみる その6

2025年6月をもって会社を退職し、独立という名の無職生活を送る予定でいます。

サラリーマン生活を振り返って、総括ではないですが文章に残しておこうと思います。

 

40代中盤から後半

世の中がコロナ対策でシャットダウンや在宅勤務が基本となった時期です。

また、やりがいをもって取り組んでいたグローバル系の仕事から外れたのもこの時期です。

 

今まで20年以上も満員電車に揺られて、仕事が忙しかろうと忙しくなかろうとも律儀に出勤していたのはいったい何だったんだろうという感想を持ちました。

 

また子供の面倒は以前からそれなりに見ていたのですが、週7日の夕食準備と学校行事の参加は私の役目となり、家事労働に割く時間がだいぶ増えました。子供にかかわる時間が増えたのはよいことで、これはこれで現在まで楽しくやっています。

 

仕事関係ですが、在宅勤務の時期に会社が組織再編を行いました。正直これはタイミング悪く結果としては愚策だったというしかありません。顔と名前が一致しない、もちろん人となりもわからない人間が新しい部署でリモートで一緒に仕事をしなくてはならない状況は多くの従業員にとってストレスフルでしんどかったと思います。

 

まともな人間が多数派ではあるのですが、一部パワハラ気質というかマウント取りというか声のでかい虚勢をはっているような人物が存在するのは事実で、こういった輩と一緒に仕事するのが本当に苦痛でした。

 

間接業務というか付帯業務、社内改善プロジェクト的なものをこういった輩と一緒にやることになりました。そもそもやってもやらなくてもどうでもよい仕事、仕事のための仕事、穴を掘る仕事だがその穴の掘り方に文句を付けられダメだしされ、その上結局は穴を埋めさせられるという不毛極まりない仕事です。(あくまで私の捉え方ですが、同様に感じている同僚がそれなりにいたのも事実です)

 

こういったしょうもない業務も、サラリーマン的には嬉々として、やる気に満ちて前向きにやっているアピールするのが正解なのでしょう。

 

ただ年齢的にも50歳が見えてきて、これ以上の昇進がないこと、在宅勤務で仕事に対するスタンスや人生に対する達観が出てきたこと(くだらないことをやって時間を浪費するのは避けたいという心理)、金融資産の評価額が1億円を超えてきていつでも会社は辞めてもよいという金銭状況もあり、全く仕事をやる気が起きませんでした。

 

そうこうしているうちに、会社に通えない(正確には在宅勤務ですのでパソコンを開けない)メールチェックするのが気持ち悪くてできないという状況に落ちてしまいました。

 

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